2011年10月29日土曜日

好きだからコントロールしたいのは当然?

コントロールは破綻への助走です。






好意を持っている方とはじめてデートした日に、相手が気持ちを表明することを期待していましたが、なかったので失望しました。それでも相手からはメールが届いたり、デートの申込みがあります。簡単に受け入れると軽く見られそうなので、自分の気持ちや考えを話さないようにしています。いい関係にしたいのでアドバイスお願いします。

まず、ご質問の答える前に、「すべてか無か」の機能、コントロールについて簡単に説明しておきます。

何もできなかったと考える。何もかもがすべて正しくないと考える。すべて間違っていると考える。このような考え方は、「すべてか無か」の機能を働かせている典型的な状態です。

「すべてか無か」の機能はそれだけに留まらずコントロールの問題に発展します。
コントロールしているか、していないか?の2極化した状態で機能しているか、していないかが判断して、本人に認識されます。認識の結果、思いのままの状態が維持できていれば続け、そうでない場合には全く無関係に過ごすかのどちらか一方なのです。「すべてか無か」はコントロールと1セットであり、無関係に過ごすのは、傷つくことを恐れる結果なのです。

「すべてか無か(白か黒か)」で判断する彼らの特長は、コントロールを失わないように自らに注意を与え続けるか、そうでない場合は無関係を決め込むことです。
「すべてか無か(白か黒か)」も、コントロールしているか?していないか?そのどちらも柔軟性に欠け、現実的ではありません。

コントロールの問題は、「すべてか無か(白か黒か)」の問題が感情的に行動化したものです。思い通りにならない場合はコントロールで相手の自由を抑えこもうとするわけですから、状況によっては簡単に暴力に走ります。つまり破壊、破滅が隣り合わせに並んでいるのです。

どうしてこのような仕組みを身に着けたのでしょうか?
健全に機能している家族のもとでは、「すべてか無か(白か黒か)」ではなく、時にあり、時にない。白でも黒でもないグレーである中間的な場合が多く、思い通りにならない状態を我慢ではなく自然な形で柔軟に受け入れます。思い通りにならないからといって暴力に訴えることは理不尽であり、あり得ないのです。コントロールを失わないように注意深くなるのは、アルコール依存症者のいる家族に育った場合に多く見受けられる現象です。子供時代にコントロールを手離すと自分が精神的、あるいは身体的、もしくはその両方が傷つく場合が多いからです。

さて、お問い合わせの件ですが、(1)デートの最初に日に、「相手の気持ちを確認したい。」「自分のことは包み隠さずを全部話す」というのは、相手に対する心配りに欠ける行為で乱暴です。なぜなら相手には相手の心の準備があるからです。お互いに、一歩一歩、確かめながら進退を決めていけばいいことなのです。

(2)相手が言わないからといって不信に思い、次回からは何も言わないようにする、というのは感情的な行動であり、コントロールに走っている状態です。コントロールされる立場は楽しいものではないので、続くと関係は破綻します。

(1)(2)を通じて「すべてか無か(白か黒か)」の態度が一貫していることにお気づきでしょうか?自分でも気づかない隠された目的がないか注意が必要です。たとえば破綻し、見捨てられたと感じることが目的になっている場合もあります。

「すべてか無か(白か黒か)」の延長にコントロールがありますが、コントロールを放棄し、他者と分かち合うとどうなるかを見極めるのは難しいので、コントロールを手放しても安全と感じとるまで、コントロールを放棄しないだろうから、「すべてか無か(白か黒か)」の問題を最初に理解することが先決です。

対策は、自尊心を強くすることにあります。自尊心は心の柱のようなものなので、まず自尊心を築く作業を続けていくことが望ましいのです。そのプロセスでは感情が不安定になることも、傷つくこともあるでしょうが、そこで中止することなく、自尊心を築くのです。つまり自尊心が弱いので、「すべてか無か(白か黒か)」や、コントロールで自分を守っているのです。

どうして自尊心が弱いのでしょうか?機能しない家族で育つと、機能していない人が家族の一番弱い人に対して攻撃してきます。攻撃するには理由が必要になるので、理由をあげます。たとえば「お前のせいでこうなった」という言い回しは負い目を感じさせるのに十分で、我慢を強要します。こうして強要する人と自らがひとつになって自分を攻撃する仕組みが日常化します。この仕組みは自尊心をボロボロにするのに十分です。

どのようにすれば自尊心を築けるのでしょうか?
コントロールを企てる裏には、責任範囲の混乱があります。人には自分が出来ることと出来ないことがあります。その見極めをすることです。酔っ払いが酒を飲むのは、その本人が決めることで、当事者以外にコントロールできません。天候をコントロールできないのと同じです。できること、できないことには明確な「境界」があります。この境界を繰り返し意識することが克服のポイントになります。

好きな人がいてその人が誰を愛するかは、あなたの問題ではなくその人の問題なのです。あなたを選ばないからといってあなたの責任ではないのです。もちろんあなたには人として魅力を高める機会も権利もあります。しかしそれでも選ぶ権利は相手にあり、あなたにはありません。つまり選ばれなかった責任はあなたにはないのです。この関係性に自尊心が入り込む余地はないし、自尊心を云々するのはバカバカしいほど見当違いです。

このように「境界」を認識して「その問題の主体は誰にあるのか」を考えると、本当の責任者が見えてきます。もともと自分の及ばない問題を繰り返し自分の落度のように感じさせられたことが、自尊心を叩き折る原因になったのです。

それが分れば問題解決は簡単なはずですが、分っても修復が困難なのは、理屈ではなく五感を通して入り込んでいるからです。だから「頭では分っているけど実行できない」という現象が起こってきます。克服どころか、我慢のない関係に「情熱」「リアルティ」を感じなくなり、同じニュアンスを持った人物との関係に親和性すら感じてしまうのです。そうでない相手と向かい合ったときには、自分が再現者になり相手を傷つけることも珍しくありません。

このような間違った方向に行かないように、意識することを使い、感情的な行動に暴走しないようにしていきましょう。

2011年6月10日金曜日

愛されるために尽くさなければならないのか?

自立した大人の関係こそ健全な依存が可能




そのままの自分では愛されないと思い込んでいると、愛されるためになにかしないといけない強迫観念に苛まれ、心からしたいと思うことかどうかに関係なく、愛されるためになにかをすることが少なくありません。こんなこと本意ではない程度の意識はありますが、本人は気づいていません。

しかし本意ではないことを自分の意志でしていると、相手のためにしていると意識に変わり、それがあなたのために我慢しているに変わり憎しみになっていきます。

そこで「好きだけど、嫌い」というアンビバレンツな状態が起こります。
この「ひとり芝居」は巧みな依存の仕掛けなのです。

「好きだけど、嫌い」は、あなたのせいでこうなったという思いを増幅させる役目を担い、関係を継続する上で大いに役立ちます。関係の継続とは依存状態の持続に他なりません。


別れないように努力することは素敵ですが、まず絶対的に「別れない」があり、関係が続くのは不自然であり、不健康です。

人は変化するものです。変化を受け入れるのは人間力のひとつです。相手のいる場合には変化する要素も増えるので関係性は不安定になります。

互いを尊重することは人間関係の基本です。個を認めることは、互いの限界点を認めることです。人にはその価値観に照らし合わせた許せることと許せないことがあります。絶対的に「別れない」行き方はそれぞれの価値観を認めない行き方なのです。

渋々相手の価値観を受け入れた場合には、自分の価値観をへし折ることになりますが、長続きしません。自分を幸せにしてもらうために受け入れるという関係はビジネス的すぎます。この無意識に作った上下関係への怒り、それが「愛されるためになにかしないといけないのか」という疑問になって表れます。

人と交わるとは互いの価値観を認めることです。言い方を変えるとお互いの創造性を発見して育むことです。互いを生かす行動がコミュニケーション・スキルを育みます。コミュニケーション・スキルが互いを生かします。関係性とスキルは二人三脚で発展します。ネガティブな心構えには、それがありません。

お互いに相手の価値観を認め、自分の価値観を認める関係は、ある特定の誰かの価値観なら受け入れる発想では築けません。個を尊重する思想が自分に宿っていないとできないのです。つまり「自立」です。

そのために、まずあなたの「自立」の定義を広げましょう。経済のことでも、自分でできるということでもなく、もっと人としての根本的なことに視野を広げて考えてみましょう。

さて、あなたにとって自立とは?

2011年5月22日日曜日

運命の人はいる?

「ターニングポイントになる出会い」こそが運命の人





自分の心を強く拘束する恋人を運命の人と考えるのはロマンティックで楽しい。仮に失恋しても、そう考えると心の隅でイメージしている「感情をコントロールできないダメな自分」を受け入れやすい。
しかし、運命と定めたことが迎える人生の転機、分かれ道に立ったとき、その実際は、あなたの日常の積み重ねによってたどり着いたことなのです。

「運命」とは、意志の力を超えた天の仕業を意味します。はたしてそれが本当かどうかを考えるよりもっと確かなことがあります。つまり自分が無意識に綴った運命脚本か、偶然の積み重ねなのです。「自分が無意識に綴った運命脚本」と言うと信じない方もいるでしょう。

では、偶然の積み重ねはあるのでしょうか?いくつもの偶然があったとしても自分の意志が働いているのです。
自分の意志の見極めは、とても困難です。人は自身の潜在意識に従って故意にミスすることもありますが、それを故意だと認識することは困難です。なぜこうなったのか?と振り返ったときに、自己否定感が働いていることが少なくありません。結局、自分の生き方を自分はだませないのです。

もし、運命の人と呼ぶなら、それ以前に自分のことをしっかりう認識しておくことが前提で、自分が自分に率直、誠実に生きていないと人が運命の人と出会うことはありえないのです。

さらに言うなら、出会いがないという人がいますが、その本当はネガティブな感情に支配されて自分を上手にコントロールできない人だといえます。自分が妨げていないかよく反省してほしいのです。(反省とは自分を責めることではありません)
自分の行動半径が小さい。半径が小さいのは、情熱、目的や目標、趣味なども影響しています。

生きているといろんなことがあります。自分を発展的に変えるターニングポイントになる出会いもあります。「ターニングポイントになる出会い」こそ、相手が異性、同性を問わず運命の人だと思います。つまりじぶん次第です。

それにしても、悲しみから喜びを発見する人もいれば、幸運から憎しみだけを見出す人もいます。何をどう感じるか、何を見つけるかは、その人次第なのです。自分が育つ物の見方、解釈ができるのも、その人の力量なのです。「運命の人」の定義付けも人によって違います。

一生懸命に生きることを磁場にして、行動半径を広げ、自分の魅力を育み、運命脚本をポジティブなものに書き換え、瞬発力を高めると、運命と運命の人を引き寄せる磁力になります。生への情熱と目的を持って、120%の力で生き抜きましょう。


2011年3月21日月曜日

男が"彼女を守っていきたい"と決心するのは、どんなとき?

 ずっと一緒にいなくてはいけないと思うようになったとき。




何らかの形で、人間性、人間的な部分が伝わって、愛情を感じたとき、決心をします。

この愛情とは、女性として惹かれるという薄っぺらのものではなく、勇気が伴います。
女性が挑戦しているとき、思いやっているとき、そんな女性が悩んでいるとき、傷ついているとき、特にに気づかれないようにしているとき、男の父性本能がめざめます。
幼い頃のその人と情景が浮かぶと、より一層拍車がかか ることもあるでしょう。

「傷つかないでほしい」から「幸せでいてほしい」が、やがて「幸せにしたい」に能動的に変わっていきます。「幸せにしたい」が、やがて、ずっと一緒にいたい、いなくてはいけないと思うようになったとき、守りたいと思った時です。


責任と義務を感じるようになったとき、この人のために戦いと「騎士」に変わっていきます。
「騎士」になったときには、女性から大切な人間として、愛」から「愛情」に育っています。

ただし、深層心理の領域では、自分の存在感を高めるために「騎士」になる男性も多いので注意が必要です。この種の人は結婚すると責任の重さにギブアップしてしまうことが少なくありません。

勇気があってもなくても、「守りたい」気持ちが続く力は、女性の無垢な笑顔です。
偽りのないそれに接したとき、相手の過去や経歴は気にならなくなりません。
ロマンチック・コメディは無数にありますが、「恋愛小説家」「恋人たちの予感」など傑作には、みんなそれが描かれていて、いつ観ても幸福な気分になります。

きれいだから、性格がいいから、働き者だから、やさしいから、女性を称える表現はさまざま、それは表面的なことにすぎないのです。愛とは、いつも励ましなのです。



2011年3月6日日曜日

ひと目惚れで幸福な結婚生活は可能か?ひと目惚れをして交際を始めましたが、結婚しても長続きするのか不安

 結婚後の目標を共有できれば大丈夫。






ひと目惚れは、ひと目見ただけで惚れてしまうということですので、「相手のことを知りもしないで、無謀な・・・・」と考える人がいます。

しかし人を好きになるのに理由はありません。しかも相手のことは知らなくても、自分のことは知っているはずです。

どのような人を好きになるか、ある傾向があるものです。自分の心に率直、素直であれば、それがなによりの確かさといえます。

ひと目惚れの先に、未来が描けて勇気が湧くなら、その勇気を励まし、一途に進むのもいいのではないでしょうか?

どんなに考えて選んでも、添い遂げる目標も意志もないなら、いつか破局します。

ひと目惚れでも、未来が描けて、目標が設定できて、意志が確かなら、幸福な家庭が築けます。
人生も結婚も「マイルストーン」です。最終地に到達するために、1マイルごとに目標を設定して、順番に進んでいくやり方です。

ビジョンと意志に反応しない相手なら結婚に進まなければいいのです。次に進むか進まないかはふたりで決定すればいいのです。
ひと目惚れそのものは、とっても自然なことです。その瞬間までに蓄積されたデータを元に心が動いているのです。

その意味では自分の直感を信じるということです。

無理やり抑えて、あきらめて賢い判断をしたつもりでも、後になって、ひと目惚れの相手が浮かんで比べてしまって、「理想の相手ではない」と、しっくりしないこともあります。
そんな思いをするくらいなら、自分を信じて、未来を築いていく力を自分の内側から引き出すことに力を注ぐほうが楽しいはず。

添い遂げる目標と意志、生涯惚れ続ける相手から生涯惚れてもらうように頑張ってすばらしい人生を築いてみたらどうでしょう。

相手を幸福にする気持ちが毎日の出発点です。