2011年6月10日金曜日

愛されるために尽くさなければならないのか?

自立した大人の関係こそ健全な依存が可能




そのままの自分では愛されないと思い込んでいると、愛されるためになにかしないといけない強迫観念に苛まれ、心からしたいと思うことかどうかに関係なく、愛されるためになにかをすることが少なくありません。こんなこと本意ではない程度の意識はありますが、本人は気づいていません。

しかし本意ではないことを自分の意志でしていると、相手のためにしていると意識に変わり、それがあなたのために我慢しているに変わり憎しみになっていきます。

そこで「好きだけど、嫌い」というアンビバレンツな状態が起こります。
この「ひとり芝居」は巧みな依存の仕掛けなのです。

「好きだけど、嫌い」は、あなたのせいでこうなったという思いを増幅させる役目を担い、関係を継続する上で大いに役立ちます。関係の継続とは依存状態の持続に他なりません。


別れないように努力することは素敵ですが、まず絶対的に「別れない」があり、関係が続くのは不自然であり、不健康です。

人は変化するものです。変化を受け入れるのは人間力のひとつです。相手のいる場合には変化する要素も増えるので関係性は不安定になります。

互いを尊重することは人間関係の基本です。個を認めることは、互いの限界点を認めることです。人にはその価値観に照らし合わせた許せることと許せないことがあります。絶対的に「別れない」行き方はそれぞれの価値観を認めない行き方なのです。

渋々相手の価値観を受け入れた場合には、自分の価値観をへし折ることになりますが、長続きしません。自分を幸せにしてもらうために受け入れるという関係はビジネス的すぎます。この無意識に作った上下関係への怒り、それが「愛されるためになにかしないといけないのか」という疑問になって表れます。

人と交わるとは互いの価値観を認めることです。言い方を変えるとお互いの創造性を発見して育むことです。互いを生かす行動がコミュニケーション・スキルを育みます。コミュニケーション・スキルが互いを生かします。関係性とスキルは二人三脚で発展します。ネガティブな心構えには、それがありません。

お互いに相手の価値観を認め、自分の価値観を認める関係は、ある特定の誰かの価値観なら受け入れる発想では築けません。個を尊重する思想が自分に宿っていないとできないのです。つまり「自立」です。

そのために、まずあなたの「自立」の定義を広げましょう。経済のことでも、自分でできるということでもなく、もっと人としての根本的なことに視野を広げて考えてみましょう。

さて、あなたにとって自立とは?